2019年01月25日

これまでのインターネットと、これからのローカルネット②1995年頃の団塊Jrロスジェネの有名なコピーライターの先生の会社でのデザイン仕事などの体験談(損をしないルール集)

初回記事から読まないと分かりづらいかも…。1995年頃という時期は、パソコンやネットの世界だけでなく、政治や経済や文化などの世界も、激変した時代だと思う。それまでは悪く言えば、狭い村社会の中で心地よくおさまる事ができた。1995年に24歳ぐらいだった私は、理不尽な嫌な事を嫌とも言わずに、大人しくなったものだと思う。

だが日本では1993年に政権交代があり求職難になったのに、あれもこれも出来ろと団塊Jrロスジェネは求められた。1994年には松本サリン事件があったのに、私がアルバイトで勤め先の大手のマスコミな雑誌を作る写真製版の会社では、休むなと言われた。そして時給は850円から昇給するという約束をしたのになかった。

印刷会社は情報管理は、ちゃんとしていると思ったが私の履歴書は放置状態だった。そこも大手の求人雑誌で「デザイナー募集」とあったのだが、実際は製版作業者かゴミ捨てなどの雑用だった。その会社は一応Macで、稀な仕事をしていた。Macの話は(宣伝のように)するのだが、Macで仕事は出来ない状態だった。

社員には立ち仕事を強要し、アルバイトも椅子が少ないので座りづらかった。深夜の時給は1200円なので、当時で考えると良いと思い、よくしたものだ。休憩できる場所は、喫煙所しかなかった。しかし社員が「製版の仕事は貴族な仕事」と言っていたが、私は「職業に貴賎があるのか?」と思った。

私は最初は製版フィルムをカッターナイフで切るなどのレタッチなどの研修を受けさせられたが、好まない笑顔で営業と会話をしろや、ゴミ整理などの仕事を押し付けられたので辞めた。時給850円とボーナスが約3万円だけのアルバイトなのに、多くの支店にも行かされた。それもパチンコを3日ぐらいすると1ヶ月分が負け失った。

私の他には有名な美大の出身者の社員や未成年かもしれない学生のアルバイトがいたり、タバコやパチンコ好きな中国・韓国人のアルバイトなどもいた。当時のデザインの学校などでは、誰とでも仲良くしろと言っていたので、私は仲良くしていた。中には高額なパソコンを購入している人もいて、後になって気の毒だと思った。

1993年頃にはインターネットも一般人が使用可能になり、パソコンもそれまではCUIという文字を入力しないと操作できないのに対し、その頃のMacでマウス操作でボタンを押すなどのGUIが可能になり、デザインの世界でもMacでDTPという書籍などの編集が可能になった。だが製版業界はDTPを認めなかった。

MacはマシンとOSなどというハードとソフトを同じアップル社が販売しているという、ある意味では便利な製品だ。だが、HDDなどが故障をした時などは修理がしづらかった。そういう状況で、日本ではサプライズな事が起きた。それは…



Windows95というOSで多くのパソコンで多くの仕事などが出来るようになった


Windows95とは1995年に販売された、DOS/V機と呼ばれるMac以外の各パソコンで動作させる事が出来るOSである。WindowsはそれまではMacのようにGUIな操作がしづらかったらしく、DTPをするならMacと言われていた。

しかし印刷する文字の問題で、Macはモリサワのフォントが標準で、日本の印刷で多く使っている写研のフォントが使えず、それがWindowsの方では対応していたらしいが、私は新卒2年目ぐらいで、そこまでの仕事をさせせもらっていなかったので、どういう状況かは詳しくは知らない。だが或る程度の予想はついていた。

1995年にWindows95が販売されると、行列をするほど話題になった。秋葉原も最盛期だったのだろう。その前にもTVゲームのソフトを買うので、行列をした時代だった。だがこれもインターネットによる通販の増加で、今は少なくなってきたが、それでも昔のように行列をする人がいる。だがこれは時間も金も無駄だと思う。

その頃の私はMacを購入して1年程度であり、デザイン業界というのは、今も「Macのみで作成して」や「昔ながらの手作業で作成して」という状態なので、Windowsまで対応できる状態ではなかった。しかしこの業界の体質と、他の業界のニーズが多くの若者を苦しませたかもしれない。

それはMacしか使った事が無いのに「Windowsにも対応しろ」という営業などがいた。またデザインの求人でも、苦情などの電話の仕事も求められた。そこで「Macという事務などのデータが入っていないのに、電話の仕事を求められてもな…」と思った。

印刷やマスコミだけでなく家電の大手メーカーなどでも、バブルが崩壊すると研修などの予算の削減で、即戦力という無理な要求をされ、団塊Jr世代は混乱状態だった。未だに「新卒や職歴に途切れが無い人しか採用しない」と言う企業は、世間知らずだと思う。

バブル崩壊前までは、正社員の研修期間は1年程度だったが、バブル崩壊後は低賃金なアルバイトや派遣などに研修を、正社員は1年なのに数週間から研修無しを求めた。そして大企業などの多くは正社員は少なく、非正規雇用が多い。



デザイン業界では事務などの他の仕事と分かれるMacの使用を求めている


私は1994年にアルバイトで入社していた小さな広告会社は、募集したイラスト以外の無理めな仕事を求められ、うまくできなく辞めろと理不尽に言われたので辞めた。そこの社長は辞める時に具合が悪いのか、中華料理をおごってやると言われたが、気分が悪いのと「そんな浪費をしてるから儲からないんだろ」と思い断った。

そしてなるべくデザインに対し専門的な会社を探そうと思った。しかしその頃はバブル崩壊直後の就職氷河期だった。だがアルバイトでコピーライターで有名な賞を取ったという社長の会社に入った。

そこに入社する前には、私は裕福ではないが、専門性を持てば何とかなると思っていたので、無料の3Dソフトで好きな城の絵などを作った。それをそのコピーライティングで有名な賞を取った社長はほめてくれて入社できた。

金が無いと言っても、少しの努力でなんとかなるものだと思った。ただし私は小学生の頃から絵を多く描き、プラモデルを作り受賞できた。また卒業アルバムの絵を描けと押し付けられた。

転校した親しくなかった同級生の似顔絵も描けと言われ、写真も無く描いたが、同級生が似てないの連呼や、いじめをしている本人だけが気づく絵を、卒業アルバムに描いたら文句を言われた。

小5の時にそのクラスで「日本は江戸の昔から英国のようにすれば世界の強国になれただろう」と言ったら、歴史無知な連中が「お前は馬鹿?」という感じな事を言われた。ちなみに私の社会科の成績は小さい時から良く、高校の時の学力試験の結果は、学年で一位だ。

私は小5の時の研修の大学生の先生から、私が歴史に詳しいせいか「歴史の天才」と言われたが、同級生で歴史好きなガキ大将がいて、「そんなでもないだろ」と言われた。先生は、ほめる場所と状況などを、よく考えた方が良いと、今は思う。

そして話は戻るが、コピーライティングで有名な社長のデザイン仕事とは…



続き


posted by 城神YU at 06:55| Comment(0) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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